「アサーション」を「経営者の主張」と訳していたのが腑に落ちたという話

新起草方針に基づく改正前の監査基準委員会報告書では「アサーション」という用語を「経営者の主張」と訳していましたが、私はこの「経営者の主張」という表現が何となくしっくりこないところがありました。

もっとも「経営者の主張」という表現をあえて使用せずとも説明できることも多く、例えば、内部統制の評価報告制度の実施基準ではアサーションについて(明示的に定義を示していませんが)、「適切な財務情報を作成するための要件」として説明されていましたので、アサーションの説明では、『アサーションには例えば実在性、網羅性・・・があって、コントロールが有効に機能してリスクが許容限度内に収まっていれば、これらアサーションが達成される』というように説明していました。

これでも問題ないと思うのですが、今日は最近読んだ書籍の中で、トゥールミンの「議論モデル」の解説や、「主張とは何か」とか「何をもってその主張が正しいか」といったことを読むにつれ、アサーションの訳語であった「経営者の主張」をあらためて考えてみると「なるほど」と自分の中で腑におちるところがありました、という話です(参考文献:「武器としての決断思考」瀧本哲史-星海社新書、「議論のレッスン」福沢一吉-生活人新書)。

なお、新起草方針に基づく監基報でアサーションは「経営者が財務諸表において明示的か否かにかかわらず提示するものをいい、監査人は発生する可能性のある虚偽表示の種類を考慮する際にこれを利用する(監基報315第3項)」とされています。

主張と根拠

福沢一吉氏の「議論のレッスン」で『主張』『根拠』『論拠』は次のように説明されています。

主張とは、自分と異なる先行意見に対して発せられる反論である
根拠とは、主張と対になって提示される理由である
論拠とは、主張と根拠を結合させる役目をする「暗黙の仮定」である

これを内部統制の経営者評価にあてはめると、例えば、貸借対照表の中の売掛金勘定の残高金額について、その「売掛金残高の実在性が脅かされるリスクがある」という意見があったとします。経営者が言いたいことは売掛金勘定残高は正しいということですので、それを『主張』『根拠』『論拠』という上記の概念に当てはめると次のように説明できます。

    • 主張:売掛金残高の実在性は確保されている
    • 根拠1:売上債権を計上する仕訳伝票とその基礎資料に経理部長の承認印がある
    • 論拠1:経理部長は売上基礎資料の内容を精査し、仕訳伝票に正しく記載されていることを確認したうえで承認をしている

と考えることができます。

また、根拠は複数存在すればそれだけ主張としては強いものになります。上記に加えてさらに、

  • 根拠2:得意先から売掛金残高確認書を入手し、照合している
  • 論拠2:自社の売掛金残高が、得意先が認識している自社に対する買掛金残高と一致していれば、自社の残高金額も正しいはず

という根拠もあげることもできます。

その主張は正しいか

「売掛金残高の実在性は確保されている」とする経営者の主張が正しいかどうかを、この議論のモデルに従ってどのように検証することができるでしょうか。

福沢一吉氏は、主張をなんらかの根拠(証拠)によって裏付けようとする行為を『論証』といい、主張の正当性は、『ある主張、結論にいたるまでにどの程度正しい論証がなされたかを吟味してはじめて、その主張、結論の成否に関する判断が可能となる。主張の正当性は論証プロセスの正しさに依存している』と説明しています。

論証プロセスについては、瀧本哲史氏も「武器としての決断思考」のなかで正しい主張の3条件として述べています。

「正しい主張」の3条件
①主張に根拠がある
②根拠が反論にさらされている
③根拠が反論に耐えた

ここでは、この3条件に沿って上記売掛金残高の実在性に関する主張を検証してみます。

①主張に根拠がある

根拠として「売上債権を計上する仕訳伝票とその基礎資料に経理部長の承認印がある」をあげていますので、この条件はクリアしていると考えます。

②根拠が反論にさらされている

内部統制の評価では独立した部門(担当者)による整備・運用状況の評価が行われますので、例えば、上記根拠に対して、内部統制の評価者から次のような反論(指摘)があったとします。

反論:経理部長の承認印は形式的なもので、内容までは見ていないのではないか

これは承認印が押されている=内容含め確認されているという前提の考え方(論拠)に対してツッコミを入れています。これは根拠が反論にさらされている状態といえます。

③根拠が反論に耐えうるか

この②の反論に対して、経営者は「売掛金残高の実在性は確保されている」と主張する理由である根拠、ここでは経理部長の承認印が「どれくらい主張を支えているか」を説明しなければなりません。

反論に対するコメント:経理部長は売上基礎資料に営業部門担当者と責任者の承認印があること、また金額算出過程を自分でも再計算しその金額が仕訳伝票の計上額と一致していることを確認して承認印を押している。

これについて評価者が納得すれば、根拠が反論に耐えたことになります。

②’さらに反論があった場合

上記コメントに対してさらに評価者が反論を加えるかもしれません。

反論2:経理部長の承認印がない仕訳伝票が存在した

これは主張の根拠としたデータそのものを実際に確認できなかったとしてツッコミを入れています。

③’それでも根拠が反論に耐えうるか

この②’の反論に対して、経営者は経理部長の承認印がなかった事実の原因を吟味しなければなりません。

反論2に対するコメント:当該承認印が押されていなかった伝票について確認をしたところ、たまたま承認印を押すことを忘れてしまったとのことであるが、他の伝票同様に当該伝票についても基礎資料における営業部門の承認状況や金額算出過程の検算も実施しているとのことであった。

このようにいくつかの反論とそれに対するコメントを行って、根拠が反論に耐えれば、すなわち評価者に反論されなかった(されなくなった)か、反論されたとしてもその反論が弱ければ、その主張は正しかったことになります。

上記の例でもし反論に対するコメントが次のような状況であった場合は、主張は生き残れないことになります。

反論に対するコメント:経理部長は承認印を押しているものの、内容は全く見ていなかった。

反論2に対するコメント:承認印を押していない仕訳伝票は他にもあり、確認したところ忙しい時は内容を見ていないとのことであった。

なお、上記では、売掛金勘定の実在性というアサーションのみとりあげましたが、他のアサーションについても同様に達成を脅かすリスクがあれば、それに対する主張(リスクは許容限度に抑えられ、アサーションを達成していること)とその主張の正しさを検証をします。

それらの結果すべての主張(アサーション)が正しければ売掛金残高は正しいということが言えます。

さらに、複数の主張を、個別の「根拠」として扱うことによって、それらの根拠を背景とするさらに大きな主張が可能となります。上記では売掛金勘定のみを取り扱いましたが、その他の科目についても同様にリスクに対して主張の正しさを言えれば、それらの集合として貸借対照表が正しいと言うことができます。

監査基準における説明とは違い厳密さはありませんが、議論のモデルを使って、経営者の主張とは何か、何を持ってそれが正しいと言えるのかを考えてみたら、しっくりきたという話でした。

実は、これらの書籍を読むきっかけとなったのは所属事務所の所内研修会で竹村純也氏が『圧倒的な論理力に基づく監査調書とレポートの作り方』と題する話をしてくれまして、その中で紹介されていた本の一部です。研修は残念ながら内部向けですが、書籍は一般に手に入れることもできます。”一人ディベート”や”最善解の導き方”など仕事でもプライベートでも知っておいて損はない手法が紹介されていますので、おすすめです。